瞑想とは何?

前章で、瞑想とは「心の疲弊を開放」すると書きましたが、では一体瞑想とはどのような状態なのでしょうか。一言でいうと、

瞑想とは、「思考を停止」する方法です。

人間は、常に色々なことを考えています。昨日見た動画のこと、今度の休みのこと、家族のこと、友達のこと、仕事のこと、人間関係や健康、お金の心配、将来のこと、今晩の食事のこと、などなど、休みなく次から次に考え得ています。特に心配事に関しては、繰り返し繰り返し同じことを考えています。

それは、じっとしているときだけでなく、道を歩いているときも、何か作業しているときも、考えてしまいます。特に道を歩いているときなどは、歩いている人の容姿や服装やお店、看板、車、街並みなど、目に入ってくるものについて、ついつい推測したり、自分と比較したり、またそこから想像をめぐらしたりしています。

我々は、このように起きている間ずっと思考を続けており、このずっと考え続けているという状態が心を疲弊させます。

思考はポジティブな事ばかりでなく、ネガティブな事柄も多いですし、ポジティブであっても思考の起点が他人との比較なことも多くあります。また人間関係や健康、お金の心配事は、幾ら考えても答えが出ないことが多いです。このような他人との比較や解決しない心配事といった雑念に囚われていると、考える度にどんどんと心が疲弊していきます。

そこで、この雑念を追い出すために、「思考を止める方法」が瞑想なのです。

注意したいのが、瞑想(マインドフルネス)というと、スピリチュアル系との関係を想起しがちですが、私は全く関係ありませんので、宇宙の意志などのスピリチュアル系に興味のあるかたは、そちらの情報を探してください。

なぜ瞑想が必要?

最近有名な巨大IT企業が社員の業務向上と精神衛生改善のために、マインドフルネスを導入して効果をあげているというニュースをちょくちょく目にするようになり、本屋にいってもマインドフルネスや瞑想がタイトルになっている書籍が平積みになっているのも散見されます。

最近では、伝説のロックバンドThe Beatlesも超越瞑想の修行のためにインドに滞在したときのフィルムが映画になって公開されました。マインドフルネス=瞑想なのだが、なぜこんなにも瞑想が注目され、求められるでしょう。

それは「疲弊した心を開放」するためです。

「人間は考える葦である」と、フランスの哲学者パスカルは言いましたが、この人間の持つ思考力こそが、他の動物と人間を区別する原動力になって、現在の文明を築き上げました。しかしながら一方で、人間の悩みもこの思考力が生んでおり、悩みが多すぎると「心が疲弊」してしまい、生きる気力や創造力が弱って、生きているのが苦痛になってしまいます。

そこで、瞑想により「疲弊した心を開放」して、生きる気力や創造力を存分に発揮できる精神を取り戻すことが必要となってきます。